10月15日から史料調査で京都に滞在中です。ほぼ毎日、同志社大学アメリカ研究所にお世話になりました。グアムやワシントンD.C.ではグアムやTTPIに「レンズ」を拡大させてローカルな情報を集めてきましたので、今回は「レンズ」を絞って米国国家安全保障会議(NSC)のマイクロ資料をもとに、主に1950年代の米国の極東政策、安全保障政策、核の平和利用についての政策全般についての資料を調査・収集しました。すでにFRUS(米国対外関係文書)に収録されている議事録やドキュメントもあると思いますが、気になる項目をカタログから見つけて体系的に集めることができるというメリットを今回は活かしました。
加えて昨日は、下記のチラシのような報告の場もいただきました。
色々なご意見をいただき、とても参考になりました。やっぱり「環境」「公害」という言葉がもつ意味合いをどう整理すべきかなかなか難しいなぁということを実感しました。長年の問題関心である太平洋島嶼地域の軍事拠点化に焦点を充てたアメリカ帝国史研究をベースに、最近になって「環境(史)」を勉強しはじめたばかりでまだまだ素人同然ですが、もっと環境政策(史)の先行研究を吸収していかねばと痛感しました。「環境史」自体、極めて扱う範囲が広いので、全てを網羅するのは不可能に近そうですが…。
また、私の歴史学方法論の土台にしていきたいとおもっている「グローカルヒストリー」の視点も加えて、軍事公害に対するグローカルな抵抗主体としての太平洋地域の連帯する人々の声を拾いたいという問題意識にも触れましたが、ナショナルな枠の相対化の限界性や、「環境」をイシューにしようがしまいが、そもそも軍事主義に反対する社会運動の経験(ジェンダーの視点から)が既にあるというご指摘には、ハッとさせられました。軍事化という概念そのものやその克服を目指す社会運動史、国家としての政策立案過程の整理が足りなかったなぁと気付かされました。
ただ、私はあくまで歴史学の専門家であり、現状分析やインタビュー(オーラルヒストリー)および参与観察する能力は残念ながらありません。今関心を持っている「環境」についても今後のライフワークになるかどうかはわかりませんし、実際に運動の主体として実践的に活動するノウハウもありません(強いて言えば地道な歴史教育実践活動くらいでしょうか)。私にできることは限られています。その自覚のもとで、グアムや太平洋地域の軍事拠点化とそれに伴う社会変容についての一次史料をできる限り集めて、読み解き、その時代的特徴を解釈すること。その中でグローカルな視点から、アメリカ太平洋現代史の構築をより実証的に進めながら現代が抱える課題を照らし続けていくことを大事にしたいと思います。次の作品に向けて、色々と考え直すことができた貴重な機会でした。
⭐️
長期研修京都編ももう週末を残すだけ。滞在中はずっと良い天気で過ごしやすかったです。週末は勤務日扱いではないので自由に過ごせるのですが、せっかく関西入りしているので今日は阪大歴教研に参加し、明日はウトロ平和祈念館に行く予定。京都編の次は、11月末から一週間のみですがパラオ編になります!