We shall overcome ☆沖縄からのグローカルヒストリー☆

琉球大学西洋近現代史研究室を担当する池上大祐の教育・研究活動ブログです。アメリカと太平洋島嶼地域との関係について、(脱)・(新)・(核の)植民地主義の観点から研究しています。また、沖縄で西洋史やグローカルヒストリーを学ぶ意義・方法について歴史教育実践を通じて追求していく予定です。なお本ブログの記事は、あくまでわたくし個人の意見であり、所属先の方針や考えを代表するものではありません。

大久野島訪問

2泊3日の旅程で、教材研究及びグローカルヒストリーのイメージをつかむための調査出張で広島県竹原市忠海大久野島に行ってきました。10年以上ぶりの訪問でした。

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「うさぎの島」として有名ですが、かつて芸予要塞として日露戦争に備えて砲台が設置され、1927年から終戦まで日本陸軍の毒ガス製造工場があった「軍事の島」でもあります。平日でしたが結構訪問客も多かったです。島の周囲は約4キロ。毒ガス工場施設跡や戦跡(写真は、毒ガス資料館と長浦毒ガス貯蔵庫跡)を見ながらの徒歩でだいたい90分で一周回れました。

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ただ、山に入れる道が災害で壊れていることから、中部砲台跡など幾つかは見ることができず。昼食は、国民休暇村のレストランで、タコ天丼。乗継中継地だった三原市などではタコが有名とのこと。

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翌日は広島市立図書館で、竹原市史や広島県史で大久野島がどう書かれているか調べましたが、発行が前者が1960年代、後者が80年代ということもあって全く出てきませんでした。まだ十分に明らかにされていなかった時期だったからと思われます。90年代以降に発行された山川出版社の県史シリーズで、記述が出てきました。2019年には、竹原市教育委員会が発行する市内の史跡解説冊子に大久野島の毒ガスの歴史が収録されていました。前回訪問時に工場勤務体験者による証言集や毒ガス工場の歴史の冊子を購入しててそれで勉強してきたのですが、公的な記録(記憶)状況について疎かにしてたので、すこしだけそれを埋めることができました。

さらに展示がリニューアルされた原爆平和資料館も見てきました。以前の展示の特徴を覚えてないのですぐには比較はできませんが、特に東館の核兵器の歴史の展示は、モニターの説明などもじっくり見ると基礎的な流れは学べると感じました。原爆投下の政治的目的についての言及もありましたし、また初期の投下目標地として、ミクロネシアのトラック諸島に集結する日本艦艇もあげられていたことを不勉強ながら今回初めて知りました。東館の下は、戦前の広島の紹介が続き、軍都としての広島の説明も若干でしたがありました。総じてアジア太平洋戦争全体の説明がほぼない(あるいは細切れに要素が分散されている)と感じましたが、印象だけかもしれないので、しっかり分析してみます。

ひさびさの県外での現地調査で随分と歩きました。コロナ感染対策を怠らないようにしつつ、少しずつこういう活動も復活させていこうと思います。化学兵器禁止条約核兵器禁止条約といった人類の叡智を今一度掘り起こしていかねば、と決意する次第です。

  ⭐️

(おまけ)もちろん、夕食でいただきました!牡蠣入りです。

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