We shall overcome ☆沖縄からのグローカルヒストリー☆

琉球大学西洋近現代史研究室を担当する池上大祐の教育・研究活動ブログです。アメリカと太平洋島嶼地域との関係について、(脱)・(新)・(核の)植民地主義の観点から研究しています。また、沖縄で西洋史やグローカルヒストリーを学ぶ意義・方法について歴史教育実践を通じて追求していく予定です。なお本ブログの記事は、あくまでわたくし個人の意見であり、所属先の方針や考えを代表するものではありません。

奪われた野にも春は来るか

先日20日、4年次生を無事送り出しました。

恒例の『西洋史ゼミ論集』第4号とネーム入り万年筆をゼミ卒業生へ。逆に卒業生からも、ネーム入りボールペンをいただきました。日頃から「書く」ということから目を背けなかった彼ららしい贈り物で、大切に使いたいと思います!

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ゼミ卒業生のうち、1名は就職、2名は大学院進学(北大と琉大)、3名は公務員・教採試験再トライという進路です。夢半ば、今後も頑張ってほしいと思います。

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ちなみに「春」という言葉を辞書で引くと、いろんな意味があります。冬と夏の間、青年期、人生の最盛期、色事などなど。加えて『大辞泉』には「苦しく辛い時期を乗り越えた楽しい時期」という意味もありました。「諸国民の春」、「プラハの春」、「アラブの春」のような歴史用語もこの意味でしょう。「新しいことのはじまり」という意味が春には込められていることがわかります。

 

しかし、2011年の春は、多くの土地や命を絶望的なまでに奪っていきました。被災した福島の様子を収録した写真集を出版した鄭周河さんは、その表題を以下のようにしました。

 

『奪われた野にも春はくるか』

 

これは、日本統治によって土地が奪われたことを嘆く詩を1920年代に作っていた抵抗詩人・李相和の表現を鄭さんがそのまま使ったもので、どこに「苦痛の連帯」を見出そうとしたそうです。こうしてみれば、沖縄もまた「奪われた野」であり、ずっと春を待たされているのかもしれない。

 

だからこそ、沖縄で西洋史を学んだことの意味を卒業後にも考え続けて、他者の苦痛や悲しみを共有しながら、卒業生それぞれの「春」を見出して欲しいと思っています…ということを、論集の巻末や謝恩会でのスピーチで卒業生に伝えました!

 

このような挨拶にしようと思ったきっかけは、『舟を編む』という物語に触れたことです。やはり、言葉って大事ですね。