We shall overcome ☆沖縄からのグローカルヒストリー☆

琉球大学西洋近現代史研究室を担当する池上大祐の教育・研究活動ブログです。アメリカと太平洋島嶼地域との関係について、(脱)・(新)・(核の)植民地主義の観点から研究しています。また、沖縄で西洋史やグローカルヒストリーを学ぶ意義・方法について歴史教育実践を通じて追求していく予定です。なお本ブログの記事は、あくまでわたくし個人の意見であり、所属先の方針や考えを代表するものではありません。

戦跡調査編―ミクロネシアのなかの沖縄

長期研修期間が昨日の12月20日をもって終了しました。振り返ると、6月20日からの広島・宮島滞在からはじまり早半年。研修期間の活動についての最後の記事は、サイパン島テニアン島パラオコロール島ペリリュー島)の戦跡・史跡の紹介です。見てきたことすべてを網羅するのはちょっと大変なので、「沖縄」に絞って簡単に紹介いたします。

まずはサイパン北部に建立されている「おきなわの塔」です(2023年8月13日訪問)。1968年6月10日付けの銘板も併設されています。銘文は以下のとおり。「われわれ沖縄住民は第二次世界大戦終戦23年にあたり祖国の繁栄と世界平和を祈って南洋群島において戦没した沖縄出身将兵及び住民並びに大戦前南洋開拓の途中に死没した同胞の英霊に謹んでこの塔を捧げます 1968年6月10日 ㇽ湯汲政府行政主席 松岡政保」。この区域の真上がマッピ山で、「スーサイドクリフ」として今でも戦跡として残されています。

  ☆

次は、テニアン島南東部のカロリナス台地のふもとの、「スーサイドクリフ」も臨める場所にある「おきなわの塔」です(2023年8月15日訪問)。1978年8月に、南洋群島帰還者会・沖縄テニアン会によって建立されています。銘文は以下の通り。「今次大戦中テニアン島で散華され太平洋に魂魄をとどめ祖国の守護神となられた二〇〇〇余柱を始め沖縄へ強制疎開の途中で物故された諸例ならびに楽土南洋の礎石となられた先覚者らを偲び謹んで哀悼の誠を捧げ御霊のご冥福と世界平和を祈念しこの地に塔を建立する」。眼前の台地にはまだまだ多くの遺骨が眠っているとのことで、テニアン在住の戦跡ガイドの方も、遺骨収集に携わってきたそうです。

なおテニアンには、サイパンから5人のりセスナ機で15分程度で行けます。上記写真はセスナ機から撮ったテニアン北部の滑走路跡。ここからB29エノラゲイとボックスカーが広島・長崎に飛び立ちました・・・(この辺りは筆を改める予定)。

 

  ☆

3つ目は、パラオ諸島内のコロール島にある「沖縄の塔」です(2023年11月29日訪問)。昭和52年(1977年8月)に南洋群島帰還者会・パラオ帰還者有志によって建立されています。銘文は「パラオ諸島沖縄県人物故者を偲びみ霊のめい福を祈りここに碑を建立する」となっています。奥の檀上にみえるのは、1966年に「パラオ会 サクラ会」が建立した慰霊碑です。なぜか虹が写りこんでいますが。

 

  ☆

最後は、同じくパラオ諸島の南部にあるペリリュー島北部の「沖縄の塔」です(2023年12月3日訪問)。ここには文章による銘板はなく、沖縄パラオ会による1988年9月の建立という情報としか現地にはありませんでした。この場所には、ペリリュー島守備隊の慰霊碑(茨城の水戸出身の部隊など)があります。なお私がパラオ滞在期間中に、偶然にも沖縄パラオ会慰霊団もパラオを訪問したとのことで(同僚からのメールで知りました)、ペリリュー島の戦跡ガイドの方が前日にもご案内されたそうです。「沖縄の塔」に添えられている花束は、そのときのものだそうです。

ペリリュー島には、コロール島の桟橋からスクーナー船で40分時ほどで到着します。まあまあ揺れますが、楽しかったです。戦跡ツアーに申し込むと乗ることができます。

 

   ☆  ★  ☆

このように、ミクロネシア地域の各地に「おきなわ/沖縄の塔」があることが、まさに南洋統治時代における沖縄出身者の規模の大きさを物語っています。帝国日本の崩壊後は、アメリカの信託統治領となり、戦後太平洋戦略の拠点のひとつに組み込まれました。サイパンテニアンなどの北マリアナ諸島は、1970年代後半にアメリ自治領という政体に移行して信託統治は終了。パラオ諸島は1994年に独立したものの、アメリカとの「自由連合協定」を結んでおり、アメリカは米軍基地建設の権利を今でも有しています。実際に、最近になってペリリユー島南側の旧日本軍飛行場跡では、米軍の建設部隊が進駐し、米軍用飛行場の造成を開始しているようです。訪問時もその飛行場跡を通過しましたが、ちょうど日曜日だったので米兵を見かけることはありませんでしたが、重機や資材置き場などを見ることができました。ガイドの方の説明では、近々このあたりは規制線がはられる(立ち入りできなくなる)かもしれない、とのことでした。

 

帝国のはざまに翻弄され続ける太平洋の島々の歴史についてこれからももっと勉強していく所存です。なお、今回私がお世話になった戦跡ガイドのサイト情報は以下になります。

 

www.coconuts-shin.com

 

 

mktours.jimdofree.com

 

palauritc.com

パラオ滞在ー調査編

昨日と今日はパラオ短期大学図書館で資料調査行いました。ホテルから徒歩5分で行ける便利さ(まあ、大学に近いことを条件に探した結果なのですが)!

f:id:daimayhawks:20231201193230j:image

入口近くに設置されてた銅像は、先日アップしたブログ記事でも触れた、18世紀にイギリスに帯同したパラオ人のリー・ブー王子(族長の息子)です。パラオへの帰国が叶わずロンドンで天然痘で亡くなったそうです。

f:id:daimayhawks:20231201193541j:imagef:id:daimayhawks:20231201193534j:image

図書館地下一階に「パシフィック・コレクション」のコーナーがあり、ミクロネシア議会とアメリカとの政体交渉の記録や、1940-60年代のミクロネシアの政治的地位に関する修士論文なども所蔵されています。

f:id:daimayhawks:20231201193954j:imagef:id:daimayhawks:20231201193948j:image
撮影も可能で、とても便利でした。「南太平洋委員会」の議事録もあったのですが、その撮影までは時間的に厳しかったのでそれはまた次の機会に。今後は、ミクロネシア連邦マーシャル諸島の短大図書館にも行ってみたいですね。「聞き取り」のノウハウを持っていない自分にできることは、資料調査くらいですから。ミクロネシア(地理的にはグアムも含む)の戦後史を軸としながら足元の沖縄から発信できる太平洋世界史を描けないものか、考えたくなってきました。と同時に、地道な個別実証論文もしっかり書かねばなりません。頑張ります。

 ⭐️

(おまけ)昨日・今日の外食の写真です。タイ料理屋のカレーはココナツのコクとスパイシーさとバジルの爽やかさがマッチして安定のうまさでした(上)。大学近くにあるインドカレー屋のランチはなんと夢のビュッフェ形式! 22ドルは相応の値段。2周したし美味しかった(中央)!和食屋の漬け丼の魚はパラオで取れた活魚で、魚種はわからないけど、味はイサキっぽくてこれも美味しかったです🐟(下)。

f:id:daimayhawks:20231201200344j:imagef:id:daimayhawks:20231201195953j:imagef:id:daimayhawks:20231201200338j:image

 

 

パラオ滞在ー博物館編

現在、パラオに滞在中です!念願かなって初訪問。昨日とおとといに、拠点のコロール島にある二つの博物館に行ってきました。まずはベラウ(「パラオ」の現地語読み)国立博物館です(右側)。

f:id:daimayhawks:20231130174843j:image

一階は特設展示になっていて、今は台湾先住民の民芸文化(機織りやかご編み)の展示や、パラオ・ドイツ共同の考古学プロジェクトの紹介パネル展示がありました。

f:id:daimayhawks:20231130180044j:imagef:id:daimayhawks:20231130180133j:image
二階は、パラオの通史。まさにスペイン→ドイツ→日本→アメリカ→独立という植民地主義の歴史が見えてきます。私が「西洋史」の看板を曲がりなりにも背負っている理由はここにあります。なお、18世紀後半に、パラオ近海で座礁したイギリス船員をパラオ人が救助したという出来事やその時の船員がパラオ人のひとりをイギリスまで連れて行ったという話も不勉強ながら今回初めて知りました。

f:id:daimayhawks:20231130180507j:image
f:id:daimayhawks:20231130180522j:image
f:id:daimayhawks:20231130180517j:image
f:id:daimayhawks:20231130180503j:image
f:id:daimayhawks:20231130180512j:image

 

次に訪問したのが、エピソン博物館。館内は撮影禁止だったので入口のみ。

f:id:daimayhawks:20231130181648j:image

1階が歴史民俗展示で2階がお土産コーナーでした。旅行業などのビジネスで活躍した元パラオ大統領ギラケル・エピソン(任期1989-1993)が創設したことで、その名がついているようです。展示の説明では、日本統治時代の青年期にインドネシアに渡り(仕事で?)、1944年にパラオに戻るために乗った船が米軍に撃沈され、泳いで生き延びたという壮絶な経歴を持っているようです。もっと詳しく調べてみたいですね。

二つの博物館で入手した文献資料は以下のとおり。PDFを収録したCDは嵩張らずに済むのでありがたいです。

f:id:daimayhawks:20231130183039j:image

    ⭐️

本当は予算的にはパラオ訪問は難しかったのですが、色々とご支援いただいたおかげで、実現できました。夏に行ったサイパン(北マリアナ諸島)もそうなのですが、修士課程の時に、信託統治というテーマに出会って、それ以来研究活動においてミクロネシア地域とアメリカの関係についてずっとこだわってきたので、その地に立てていること自体が本当に嬉しいです。

最後の写真は、宿に近いショッピングセンター内の惣菜(?)コーナーで買った、じゃがいもと骨付きチキンを炊いたもの。見た目に反してほんのりスパイシーで、美味しかったです。ローカルフードなのかなー。

f:id:daimayhawks:20231130183120j:image

 

⭐️第24回九州西洋史学会若手部会のお知らせ⭐️

f:id:daimayhawks:20231118005558j:image

https://drive.google.com/file/d/1hxg5UjqKqu4CEjxdvQg44e8WSldljoxS/view?usp=drivesdk
第24回九州西洋史学会若手部会を企画しました!11月26日のオンライン開催で誰でも参加できますので、よろしくお願いいたします。西洋史学に関心あるけどどいうテーマや研究方法があるのか聞いてみたいという大学1、2年生でも大歓迎です!

 

      🐎

昨日、某新刊紹介の原稿を書き上げて無事提出。締め切りからちょっとだけ解放されました。ささやかな自分へのご褒美。餅付きのきなこ黒蜜味。これは美味すぎるでしょう!

f:id:daimayhawks:20231118011104j:image

  🐎

先日、卒ゼミ生が研究室に立ち寄ってくれて、地元県の中学校教員採用試験を合格したとの報告をくださいました!もちろん、どんな職でも卒ゼミ生が社会で活躍してくれるのは嬉しいのは大前提ですが、教職には力を入れているつもりなので、やっぱり励みになりますね。

 

ゼミ研修@本部町&伊江島ー海洋博からみたグローカルヒストリー

11月3、4日に3年次を中心としたゼミ研修に行ってきました。今年の共同研究のテーマである海洋博の歴史に触れるために、初日は海洋博公園内の海洋文化館、熱帯ドーム、水族館をみてまわりました。f:id:daimayhawks:20231105085534j:image

こちらは入口に展示されている1970年に復元されたタヒチのダブルカヌー。75年海洋博でも展示されたそうです(※説明パネルの写真を撮り忘れたので後日文献等で再確認します💦)。

f:id:daimayhawks:20231105092415j:image

太平洋の歴史について長年講義していますが、あくまで私の専門分野が西洋史ということで、どうしても西洋との接触を軸に扱いがちになります。この展示館では、太平洋島嶼の海洋文化という視点から先史時代から現代まで学ぶことができます。文化人類学民俗学のノウハウも必要になりますのでより一層勉強せねばなりません。

f:id:daimayhawks:20231105104801j:image

こちらは「夕陽の広場」にあるアクアパーク。子どもたち用のアスレチック場です。このデザインは海洋博開催当時にここからの沖合に設置された「アクアポリス」を元にしています。老朽化によって2000年に売却され、今は海底にその痕跡となる杭が残ってるだけらしいのですが、夏草ならぬ、夏海(この日の気温は30度で暑かった)の「夢のあと」を感じてしまいます(ちなみに大城立裕の作品に『華々しき宴のあと』があることをゼミ生のレジュメで学びました)。このデザインにも意味や背景があるので、簡単な説明版があれば、と思いました。

f:id:daimayhawks:20231105105916j:imagef:id:daimayhawks:20231105110209j:image

熱帯ドリームセンターは蘭をメインとしつつ、亜熱帯の植物群を見ることができます。遠見台も含めてちょっとラピュタ感も感じました。この区域は海洋博当時は「科学・技術クラスター」でアメリカ館やソ連館があった場所でしたがその痕跡を感じ取れるものは残念ながらありませんでした。

またこういうフィールドワークでは地元の図書館に行くことが大事なので、伊江島村立図書館及び本部町立図書館の郷土史コーナーや新聞切り抜きコーナーで関連する情報がないかざっと調べました。新聞資料や自治体史、辞典類の重要さを学生たちが改めて気づいてくれたようで何よりでした。本部町立博物館の方からは、本部町観光協会に行くと詳しい話が聞けるかもとの助言をいただきましたので、もっと研究が深まった段階で訪問できればと思っています。

開催当時から「自爆剤」という表現に代表されるように特に沖縄での評価は厳しいようでした。「観光」や「海」のイメージが沖縄に付与されることと同時に、戦争の経験ないし米軍基地の存在感を希釈させてしまう効果も持ったとの分析も先行研究上でなされているようです。ただ、同じ太平洋という海洋文化圏にある琉球列島と他の島々との繋がりの系譜のなかで、海洋博という交流経験はやはり無視はできないのかなぁとも思えます。戦争や戦後核実験の傷跡ももつ小さな太平洋の島々の生き方、文化的アイデンティティの多様性と共通性を見出すことで、翻弄されがちな軍事主義(傲慢な大義名分をぶら下げて)を掲げる大国の論理に少しでも抗っていける道筋を照らしていきたいと、伊江島反戦平和資料館にも久々訪問して、決意新たにしました。

学生たちがどう感じ取ってくれたかは、今後の彼らの研究活動を通じて見ていきたいと思います。

f:id:daimayhawks:20231105131546j:image

(おまけ)今回泊まったリゾートホテルブエナビスタ今帰仁のすぐ隣に「慰霊塔」がありました。説明版も建立日の刻印も何もないので、後日調べてみます。

 ⭐️

今回の研修は、2、3年次が履修する「世界史実践演習」の一環として初めて実施し、現時点で3年次からのゼミ配属を希望する2年次にも帯同してもらいました。共同研究を進める3年次の背中をみて、「研究すること」そのものを少しだけでも体験したと思うのでぜひとも来年度に活かして欲しいです。また終始、楽しい雰囲気を積極的に作ってくれた学生たちには本当に感謝しています!ブラックシャック、面白かった!

f:id:daimayhawks:20231105115852j:image

3年次が手配してくれたホテル近くの夕食のシーン!アグー豚と県産野菜のしゃぶしゃぶ、美味しかったです♪

なお今回は私が借りたレンタカーの他、院生の方にも車を出してもらいました。修論等で忙しい中、ありがたかったです!運転はやっぱり気が張るので帰宅後は疲れが一気にきました💦今日は1日骨休みです。

京都滞在ー研究編

f:id:daimayhawks:20231028064800j:imagef:id:daimayhawks:20231028064906j:image

10月15日から史料調査で京都に滞在中です。ほぼ毎日、同志社大学アメリカ研究所にお世話になりました。グアムやワシントンD.C.ではグアムやTTPIに「レンズ」を拡大させてローカルな情報を集めてきましたので、今回は「レンズ」を絞って米国国家安全保障会議(NSC)のマイクロ資料をもとに、主に1950年代の米国の極東政策、安全保障政策、核の平和利用についての政策全般についての資料を調査・収集しました。すでにFRUS(米国対外関係文書)に収録されている議事録やドキュメントもあると思いますが、気になる項目をカタログから見つけて体系的に集めることができるというメリットを今回は活かしました。

加えて昨日は、下記のチラシのような報告の場もいただきました。

f:id:daimayhawks:20231028065108j:image

色々なご意見をいただき、とても参考になりました。やっぱり「環境」「公害」という言葉がもつ意味合いをどう整理すべきかなかなか難しいなぁということを実感しました。長年の問題関心である太平洋島嶼地域の軍事拠点化に焦点を充てたアメリカ帝国史研究をベースに、最近になって「環境(史)」を勉強しはじめたばかりでまだまだ素人同然ですが、もっと環境政策(史)の先行研究を吸収していかねばと痛感しました。「環境史」自体、極めて扱う範囲が広いので、全てを網羅するのは不可能に近そうですが…。

また、私の歴史学方法論の土台にしていきたいとおもっている「グローカルヒストリー」の視点も加えて、軍事公害に対するグローカルな抵抗主体としての太平洋地域の連帯する人々の声を拾いたいという問題意識にも触れましたが、ナショナルな枠の相対化の限界性や、「環境」をイシューにしようがしまいが、そもそも軍事主義に反対する社会運動の経験(ジェンダーの視点から)が既にあるというご指摘には、ハッとさせられました。軍事化という概念そのものやその克服を目指す社会運動史、国家としての政策立案過程の整理が足りなかったなぁと気付かされました。

ただ、私はあくまで歴史学の専門家であり、現状分析やインタビュー(オーラルヒストリー)および参与観察する能力は残念ながらありません。今関心を持っている「環境」についても今後のライフワークになるかどうかはわかりませんし、実際に運動の主体として実践的に活動するノウハウもありません(強いて言えば地道な歴史教育実践活動くらいでしょうか)。私にできることは限られています。その自覚のもとで、グアムや太平洋地域の軍事拠点化とそれに伴う社会変容についての一次史料をできる限り集めて、読み解き、その時代的特徴を解釈すること。その中でグローカルな視点から、アメリカ太平洋現代史の構築をより実証的に進めながら現代が抱える課題を照らし続けていくことを大事にしたいと思います。次の作品に向けて、色々と考え直すことができた貴重な機会でした。

 ⭐️

長期研修京都編ももう週末を残すだけ。滞在中はずっと良い天気で過ごしやすかったです。週末は勤務日扱いではないので自由に過ごせるのですが、せっかく関西入りしているので今日は阪大歴教研に参加し、明日はウトロ平和祈念館に行く予定。京都編の次は、11月末から一週間のみですがパラオ編になります!

f:id:daimayhawks:20231028075141j:image

ワシントンD.C.滞在ー研究編

9月11日から平日は米公文書館新館(カレッジパーク)に通っています。5年前と比べてところどころ変わっていました。

・45日前から訪問日の予約(チケット手配)が事前に必要(NARAのHPからアクセスできます)

・リサーチャーカード発行のためのレジストレーション(使い方についてのe-learningや名前などの登録を)を事前にしておく

・カードは紙バージョンになってqrコードで色々読みとることに

・入口で荷物検査を受けた後に、フロントで予約者リストにある自分の名前をチェックして署名する

・カタログルームは3階に移動

・4人がけだった机が2人がけに(広く使える!)

・「プルタイム」が無くなって、いつでも2カートまでリクエストできる。

・リクエストした史料がサーキュレーションに届いたら、電光掲示板に名前が載るようになった

という感じでしょうか。

 

さて、2012年の初調査以来、継続的に集めているのが、米内務省領土局(RG126)の史料群です。グアム、太平洋信託統治領、ハワイ、カリブ海島嶼領土についての記録が集まっています。この中に沖縄(USCAR)の史料も含まれているので、沖縄県公文書館が所蔵する米国側史料と重複してないか確認しながら、太平洋海域に絞って必死に撮影しています。明日からは、1960年代からのミクロネシア議会の史料を見る予定です。

それがひと段落したら、次は米海軍作戦本部ファイル(RG313)から1950年代のサイパンの記録をみてみるもりです。海軍の史料群はまだまだうまく使いこなせてなくて、リクエストしてみたらほぼ使えなかった、ということも大いにあるので、骨が折れます。逆に大量にboxをリクエストしたら、全部大事だった💦ということもあり、引き出した史料は3日経てば一度リファイル(返却)しないといけないので、撮影が間に合わない、ということも生じてしまいます。boxのリクエスト数の匙加減が、効率的な撮影のために必要になりますねぇ。

さて今週もまた頑張ります。