We shall overcome ☆沖縄からのグローカルヒストリー☆

琉球大学西洋近現代史研究室を担当する池上大祐の教育・研究活動ブログです。アメリカと太平洋島嶼地域との関係について、(脱)・(新)・(核の)植民地主義の観点から研究しています。また、沖縄で西洋史やグローカルヒストリーを学ぶ意義・方法について歴史教育実践を通じて追求していく予定です。なお本ブログの記事は、あくまでわたくし個人の意見であり、所属先の方針や考えを代表するものではありません。

”風に向かって立つライオン”

今日(昨日)は、琉球大学の卒業式でした。

卒業生たちが手に持っているのは、卒論本文・卒論執筆体験記・ゼミ活動紹介・卒業生へのメッセージ等を収録した『西洋史ゼミ論集』第3号です。頑張って編集して、今日お渡しすることができました(&ゼミ生には、名前入りの万年筆も)。

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論集で書いたことですが、卒業生には「風に向かって立つライオン」(さだまさしの歌から)であってほしい、ということを伝えました。好きなテーマを選び、洋書を読み込み、追求してきた卒論執筆という営みが、「現在(いま)を生きることに思い上がる」ことなく、過去・現在・未来をつなごうとする深みある生き方をきっと支えてくれるから、とー。

 

下の写真は、ゼミ生からいただいたお花。

自宅の部屋がちょっと明るくなった気がします。

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偶然持っていた竹製の花入れで、部屋に飾ってみました。

 

「最後になりましたが、あなた(たち)の幸福を心から遠くからいつも祈っています。おめでとう、さようなら」

 

 

3・11

7年前の3・11は、母校である福岡大学で、翌4月から発足する予定の研究所(福岡・東アジア・地域共生研究所)の立ち上げ準備業務を担当していたときであった。午後3時過ぎ頃のネットニュースで、茨城県沖で地震発生→東北で地震発生と2段階で報道を見た記憶がある。その頃東京出張中の方々(先生や後輩)の安否確認をなんとかメールでおこなった(そのとき、私はまだツイッターというものをあまり知らなかったが、同僚がツイッターでやり取りをしていて、結果的に連絡手段の要になったことを目の当たりにした)。

初期の地震報道だけでは死者情報がほとんどなく安堵していたのも束の間で、津波の状況がリアルタイムで報道され、ニュース速報のテロップで「海岸線で、1000~2000人の遺体が・・・」という情報が次々と目に入ってきた。

その次の日の3月12日には、防災に関するシンポジウムに出席した。立ち上がる研究所の研究テーマの柱のひとつに「防災教育」を掲げていて、その準備の一環でもともと参加する予定だったが、「3・11」の衝撃に、頭がぼーっとしていたことを今でも覚えている。

今日も、TVで当時の映像が流れるが、あの「無限」に死者数が増えていくニュース速報のテロップを思い出すとちょっと胸が苦しくなるので、もうTVをつけるのをやめた。

 

私は、3・11を実際には体験していない。死者の現状も「ニュースのテロップ」でしか知らない。「当事者かどうか」という観点でいえば、周辺の立場でしかない。しかし「当事者性」という意識をもつことからは目をそむけたくなかった。2003年の福岡地震を経験したことも根っこにあったように思う。2011年4月に研究所が発足して、震災関連のシンポを企画運営する機会があったが、しかしそれは自分の無力さを自覚する作業でもあった。

 

2015年の3月、沖縄へいく直前に、福岡の研究仲間たちと東北に行った。せめて現場に入る、ということしか考えられなかった。

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津波の被害をうけた石巻市大川小学校

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相馬市の碑文

2016年4月、熊本大地震で、多くの知り合いが地震の影響をうけた。そのとき私は沖縄にいて実際に体験することはなかったが、LINEやメールを通じて、家族や研究仲間の安否について情報を共有した。

 

自分が無力であることからいまだ解放されないが、「復興」とは何か、ということも含めて、いろいろと考えるべきことがある。「死者1000~2000人」というあのテロップの記憶も、こうしたメモリアルなときでないと想起することがなくなってきたが、戦争や空襲を研究する者としても、その重みだけは忘れてはいけない、と考えた次第である。

2017年度琉球大学西洋史研究報告会の開催

2月19~20日に、下記のような企画を開催しました。

4年次は卒論、3年次は卒論構想、2年次は関心あるテーマの紹介をそれぞれ報告。当日までにレジュメの用意(印刷を含む)ができておらず、時間通りに開始できなかったことなど、段取りにいくつか課題が残ったものの、みっちり議論することができました。この経験が、今後の活躍の場での糧になれば幸いです。来年度は、ぜひ合宿形式でやりたいですね。

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(おまけ)打ち上げ会場での一枚。いつもの居酒屋と違い、西洋史っぽい(?)雰囲気で、食事もおいしく、とてもよかったです(全員集まれなかったのは残念ですが)!コースの最後にコーヒーがでるのもみんなから好評でした。自動車通学でお酒飲めない学生が多いのなら、今後もこういうお店でうまいものを食べることを主眼とした懇親会のほうが良いのかな、と思いました。未成年の学生も参加しやすいですし。

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大学近くの「ビストロ食堂」にて打ち上げ。おいしゅうございました。

 

  ☆

次は、3月1日の佐賀大学との合同ゼミ企画。研究報告、論文輪読などを通じて、石垣島のなかの世界史、沖縄戦、米軍基地などについて議論します。佐賀新聞の記者の方も帯同されるそうで、学生たちにはよい刺激となることでしょう!

書評『米国アウトサイダー大統領』(山本章子著、朝日選書、2017年)

ryukyushimpo.jp

書評を書かせていただきました。

以下は、書けなかったことですが、歴史のなかにトランプを位置づけようとする試みは、氾濫するトランプ本とは一線を画す重要な仕事だと感じました。また、既存政治(エスタブリシュメント)に対抗しうる大統領像として、かつての「セルフメイドマン型」から「アウトサイダー型」へ変化した、という指摘も興味深いものでした。

 

その社会的背景が何なのか、色々と考えます。機会を与えられれば自助努力で成功をつかめる、といったサクセスストーリーが通用しないということをアメリカ社会は意識的にか無意識的にか気づいている証左なのでしょうか。これ以上膨らむ見込みのない経済の「定常化」によって否応なしに「パイを分け合う」ことになったときに、「われわれ」「あいつら」の境界線がかえって浮き彫りになっていくのだとすれば、「均等にたくさん分けすぎた」オバマへの反動が、トランプを押し上げたということになった、ということなのでしょうか(何の根拠もない思い付きですが・・・)。

 

昨日のCNNでは、トランプ大統領の今年の一般教書演説でもちきりでした。軍事力増強をうたったようですが、あくまで現在「好調」な軍需産業によって雇用をまもり、それを「同盟」国(特に日本はアメリカの言い値で買ってくれるカモ)が購入してくれることを期待しているのでしょう。実際の軍事介入の主体としても期待されているとすれば、武器は売れる、米兵は死なせずにすむ、というアメリカにとっては願ってもないスト―リーです。まだ一般教書演説を全文読んでないので、ちゃんとチェックしておこうと思います。

 

 

1~3月の研究教育活動

新年がはじまりました。バタバタです。しかし、あいかわらずインフルエンザとは全く縁がありません(過去39年間、一度も罹ったことがなく、予防接種もうけたことがない)。油断せず、体調に気を付けたいと思います。

 

さて、琉大西洋史研究室や私個人は、1~3月にかけていくつかイベント事を企画中(企画済)です。

 

☆1月19日(金)

北海道高等学校教諭の方をゼミの時間にお招きして、「境界史」という視点からの歴史教材作成の可能性について、講演していただきました。特に北方史という学際的な取組は琉球・沖縄研究にも通ずるところがありますし、19世紀後半に日本帝国の植民地体系に組み込まれたという共通点もありますので、学生たちも刺激をうけたようです。懇親会の写真もとっておけばよかった。翌日は、その先生といっしょにコザを巡りました。

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嘉手納基地ゲート付近にある「ホテルクラウン」のレストランで食べた月桃そば。おいしゅうございました。

 

☆2月10~12日

「国境の島」対馬へ、研究仲間といっしょに研修にいきます。朝鮮通信使日露戦争関連の史跡を訪れる予定です。新しい歴史実践の方法を仲間と模索したいと思います。

 

☆2月19日(月)、20日(火)

琉球大学西洋史研究報告会」を開催します。4年次は卒論、3年次は卒論構想、2年次は関心あるテーマについて報告してもらう予定です。

 

☆2月末

学内共同研究プロジェクト「島嶼地域科学の体系化」に関する論文〆切日・・・。私は太平洋島嶼国(・地域)が地域的連携を模索してきた歴史的流れをまとめる予定です。先日刺激をうけた「境界史(ボーダーズ・ヒストリー)」の視点をもっと導入しようかと画策中です。

 

☆3月1日(木)

佐賀大学の3つのゼミ(日本現代史・政治哲学・教育学)の学生・教員が沖縄研修に来られるにあたり、琉大西洋近現代史ゼミとの研究交流会を「てんぶす那覇」会議室で開催します。私たちは「石垣島のなかの世界史」について学生による共同研究について報告する予定です。こういう機会は大変ありがたいです。

 

☆3月20日

卒業式です。晴れることを祈っています。卒業生には、『琉球大学西洋史ゼミ論集第3号』(がんばって編集せねば・・・)を贈呈する予定です。

 

☆3月24日~29日

グアムへ逃亡します。・・・またもや海には背を向けて、資料調査でグアム大学に行きます。特に"Liberation day(米軍によるグアム解放記念日-7月21日)"についてどのようにグアムの新聞で報道されているのかを調査する予定です。それとからんで、グアムにおける南太平洋戦没者慰霊等建立問題についてもさらに資料や記事発掘につとめます。

 

・・・4月はもうすぐそこですね。

 

年内の授業終了~西洋史研究室忘年会

後期の年内の授業が昨日で無事終了。

西洋史概説Ⅱでは「長い16世紀」「長い18世紀」「長い19世紀」を終え、年明けから「短い20世紀」に入ります。

西洋史研究Ⅲでは、木畑洋一著『20世紀の歴史』第4章1節まで読み進めました。年明けは脱植民地化と冷戦の関係について考えます。

西洋史史料講読では、Vincent J. Intondi, African Americans Against the Bomb: Nuclear weapons, Colonialism, and the Black Freedom Movement, California: Stanford University Press, 2015をテキストとし、Chapter 1 "The Response to the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki", pp.9-28のほぼ半分を翻訳しました。原爆投下・核実験の歴史と黒人史とのつながりがとても興味深いです。

卒業論文研究Ⅱでは、3年次ゼミ生がそれぞれの研究テーマを一歩深めることができ、洋書の選定作業が本格化してきました。近代スコットランド史を研究する学生は、先日の九州西洋史学会若手部会(熊本大学開催)にて報告し、他大学のみなさんのレベルの高さに、大いに刺激をうけたそうです。

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報告の様子です。たくさん貴重な質問や助言をいただきました。

 

◆ゼミ共同研究では「石垣島のなかの世界史」発掘を進め、ロバートバウン号班とマラリア班にわけて構成することにしました。年明けからは「なぜ石垣島・沖縄のなかの世界史」を発掘する必要があるのか、それから何が見えるのか、について議論します。3月1日には那覇佐賀大学との合同ゼミを開催し、そこで報告させていただく予定です。

 

というわけで、昨日は西洋史研究室忘年会でした。卒論執筆中の4年次生やフィリピン語学留学から帰ってきたゼミ生も合流してくれました。ちょうどゼミ生の誕生日でもあったので、ささやかなお祝いもおこないつつ。年明けからも、頑張りましょう!

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お店の音楽が「アニソン特集」でした。リクエストもできるということで、斉藤由貴の「悲しみよこんにちわ」を流していただきました。感無量でした。

 

 

 

 

「歴史系用語精選に関するアンケート調査」の開始

www.kodairen.u-ryukyu.ac.jp

 

私も運営委員として携わっている「高大連携歴史教育研究会」など3つの団体を主体として、「歴史系用語精選に関するアンケート調査」を行うことになりました。上記のHPをご覧いただき、ぜひともアンケ―トにご協力いただければ幸いです。忌憚なき意見をなにとぞよろしくお願いいたします。

なお、今回高大連携研は「用語精選第一次案」を作成しました。現在、世界史・日本史それぞれで教科書の暗記すべきとされる用語が3500~3800語にまで膨らんでいる状況を見直し、2000語前後にまで「精選」したものです。これはあくまで暗記すべき本文の用語を対象としたもので、欄外の図表や説明注による記述を排除するものではありませんし、現場の創意工夫で、歴史的思考力を養う教材の一環として、細かい固有名詞を使うことを否定するものでもありません。

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地域性や教師の個性が発揮される、新しい歴史教育をなんとか模索するなかで、個人的には、教科書の「聖典化」からそろそろ卒業すべきでは、と思っています。やれ、「あの用語がない!」「あの用語がある!」といった「戦い」に終始し(それはそれで大事だが・・・)、よくよく考えたら実際に教育を受ける生徒たちの「主体的な学び」というものを本当に考えてきたのか?と疑いたくなる状況はせめて克服すべきかと。

そのためには、「より確からしい過去の事実を見出すことのできる方法」をきちんと生徒・学生と共有できるような仕組みも必要なのでは、と最近思うようになりました。そこで、今年担当した大学1年生向けのアカデミックスキルに関する授業で、以下の問いを出しました。

(例)あなたが、「第二次世界大戦末期のアメリカ軍は、世界のどこに軍事基地を確保しようと計画したのか」をテーマに研究すると仮定した場合、以下の史資料や文献を、より確からしい事実が読み取れる順(=史料的な信頼性が高い順)に並べ替えてみましょう。

1、現代のアメリカの大学教員が書いた研究書(英語で出版。註あり)

2、当時、軍事基地候補地を話し合うための会議に参加した米軍高官の日記(英語で出版)

3、現代の日本のノンフィクション作家が書いたルポルタージュ(日本語で出版。註なし)

4、当時のアメリカ軍が作成した機密文書(アメリカ国立文書館に保存)

5、当時のアメリカ軍の責任者が退役した後に書いた回想録(日本語訳で出版)

ほぼ全員の学生はきちんと並べ替えができていました。こういう「あたりまえな」ことも、コツコツと積み重ねていくことで、たとえば、ネット空間の言説の「信頼性」の有無について、きちんと一歩立ち止まって考えてくれるのではないかと思っています。

 

・・・かつて塾講師時代に私も手を染めてしまった「年号語呂合わせ」などに頼ることなく、「年号は年表を見れば済む。考えるのはそこからだ。」という展開にもっていけるような新しい方法(教育や入試の在り方も含めて)をなんとか見出したいと思います。