表題に関する記事が、9月27日付けの琉球新報、沖縄タイムス両紙の1面で取り上げられたことから、せっかく沖縄にいるのなら、ということで現地に行ってみました。下写真は、銅貨が発見された勝連城跡(現在のうるま市)です。
勝連城の概要については、下記のパネルをご参照。なお件の銅貨が発見された「四の曲輪(くるわ)」は、調査発掘作業中ということで、立ち入り禁止でした。
さて、件の銅貨は、勝連城跡近くの与那城歴史民俗資料館で、開催中の「平成28年度発掘速報展」にて展示されておりました。
ただ、残念ながら展示中のコインの撮影は禁止ということでしたので、私なりに、1セントコインと10円玉をつかって大体の大きさを示しつつ、以下のように展示を再現してみました。
・・・後期の「西洋史概論Ⅱ」の初回授業の教材として使うつもりですが、なんだか小学生か中学生の自由研究のようになってしまいました・・・。
それはともかく、新聞報道や展示の説明では、発見された10点のうち、製造年代が判明したのが5点。4点が3~4世紀のローマ帝国時代、1点が17世紀のオスマン帝国時代とのこと。他の銅貨については現在も調査中とのこと。
もうひとつの論点は、なぜ勝連城跡で発見されたのか、という点。14~16世紀「大交易時代」の琉球とアジア・ヨーロッパ地域との交易の在り方や、15世紀後半の廃城後の勝連城の活用のされ方の解明にもつながる、と識者はみているようです。
したがって、琉球とローマ帝国が直接つながっていた!、という類でなく、あくまで中世から近世にかけての東アジア交易網が、いかにグローバルな広がりをもっていたのか、そしてそのなかで、琉球の位置づけは何だったのか、という点が、今後の論点となりそうです。
また、私以外にも、新聞をみてコインがみたくて来た、という方々も同資料館にいらしてて、歴史学・考古学の研究成果が市民に開かれていく、という地味ではあるけれども大切な営みの一部を垣間見ることができました。これからも、わたくしなりに「沖縄のなかの世界史」という視点をもっともっと鍛えていきたいと思います。