We shall overcome- 沖縄と世界史-

琉球大学西洋近現代史(池上大祐)の教育・研究活動ブログです。アメリカと太平洋島嶼地域との関係について、(脱)・(新)・(核の)植民地主義の観点から研究しています。また、沖縄で西洋史・世界史を学ぶ意義・方法について歴史教育実践を通じて追求していく予定です。なお本ブログの記事は、あくまでわたくし個人の意見であり、所属先の方針や考えを代表するものではありません。

異質だからこそ連帯する

昨日、高大連携歴史教育研究会第二部会研究会@日本大学に参加しました。第二部会で運営している「教材共有サイト」の利活用の現状と課題について議論するというのが趣旨。

高校の現場から、卓越した実践例とそれを支える教育学的知見が披露され、大いに勉強になりました。無意識に講義内で思いつきで工夫してきたことを、概念化してくれたことも多々あり、社会科教育学という分野の意義を大いに感じることができました。

ただ、そう感じれば感じるほど、私が専門としている歴史学という分野との「違い」があまりに大きいということも自覚させられました。私には教育学の観点からの分析やコメントは、物理学について求めらることと同様にもはや不可能である、ということも決定的に認識させられました。

したがって「歴史教育」という概念も正直分からなくなってきました。「大学教育」(高等教育)とは何が、という教育学的研究テーマはありそうな気もしますが、その存在を全く意識せずに、あくまで「歴史学の方法論を身につけて卒論を書くという知的営み」を学生に実践してもらうための措置全般が、私にとっての「歴史教育」です。史料を読む前と読んだ後で学生の学びがどう変化したのか、というのは本来的には「どうでもよい」ことで、その史料の解釈の妥当性や論理への組み込み方の「結果」についてあーだこーだ議論していく、というのが研究室での実践です。ただ、教員養成課程に関わっている以上、最低限の中等教育機関の現場で求められるスキルや知識を身につけてもらうことも考えてきたつもりですが、所詮は付け焼き刃なのはいうまでもありません。

では、昨日の議論を私がどう活かすか。高校の先生の真似事をしても太刀打ちできないという事実を受け止め、自分に何ができるかを再考せねばなりません。講義資料をそのまま共有サイトにアップするというよりもむしろ、講義資料を作成する中で使用した地図、史料、写真などを取り上げてその「選定理由」を解説したものを共有してもらう、ということを思い付きました。自分が講義で説明する事柄を支える「地図」等の資料選定は、けっこう時間をかけています。そうした小さな実践が、現場での教材作成に寄与できるかもしれません。そうした要望も昨日の質疑でも多く寄せられていましたし。

試しにいくつか作ってみたいと思います。

 

 ⭐️

SNSでは、在外研究に備えて英語で頑張りますが、もっと言いたいことがある場合にはブログで日本語で書いていくようにします。本当は全て英語…といきたいところですが、母国語力も重要だ、という言い訳を…。