We shall overcome ☆沖縄からのグローカルヒストリー☆

琉球大学西洋近現代史研究室を担当する池上大祐の教育・研究活動ブログです。アメリカと太平洋島嶼地域との関係について、(脱)・(新)・(核の)植民地主義の観点から研究しています。また、沖縄で西洋史やグローカルヒストリーを学ぶ意義・方法について歴史教育実践を通じて追求していく予定です。なお本ブログの記事は、あくまでわたくし個人の意見であり、所属先の方針や考えを代表するものではありません。

新年スタート

年末年始休暇中に、ただ堰き止めていただけの仕事を粛々とこなしていたら、もう半月が経ってしまいました。今年もなにとぞよろしくお願いいたします。

 

<西洋近現代史ゼミ>

昨年11月末に報告させていただいた学生による共同研究報告「ドイツ商船R・J・ロベルトソン号漂着事件における「博愛美談」再発見ー宮古島・日本・ドイツー」をきちんと活字にするために、基本的な先行研究の整理をゼミで行っています。テキストは以下の4本の論文。

・近江吉明「世界史論の歩みからみた「グローバル・ヒストリー」論」『歴史評論』741号、2012年、50~60頁。

・木畑洋一「歴史学におけるグローカルな視座」『グローカル研究』No.2、2015年、113-120頁。

村井章介「古琉球から世界史へ―琉球はどこまで「日本」かー」羽田正編『地域史と世界史』ミネルヴァ書房、2016年、13~39頁。

・渡辺美季「1872~73年の那覇ーイギリス船べレナス号の遭難事件からみた「世界」ー」羽田正編『地域史と世界史』ミネルヴァ書房、2016年、153~178頁。

一次資料へのアクセスが難しい分、こうした先行研究をきちんと踏まえて、具体的な諸事実を解釈する力を身に着けてもらいたいと思います。今年の3月31日までに、脚注をつけて提出してもらう予定。先行研究を踏まえる、脚注をつける、論文を組み立てるという作業は、きっと1年後の卒論執筆に生かされることでしょう。

来年度も、ひきつづき「沖縄のなかの世界史」発掘プロジェクトは継続していきます。次の具体的テーマは、どうすべきかいろいろ悩み中・・・。ハンセン病、移民、食文化、音楽・・・。新たに入ってくる予定のゼミ生と相談しつつ決めていきたいと思います。

 

<沖縄での「初詣」>

f:id:daimayhawks:20170113212750j:plain

f:id:daimayhawks:20170113212804j:plain

自宅からやや近い「普天間宮」。琉球八社のひとつで、琉球古神道神が祀られているという。ニライカナイは「異世界」という意味らしい。沖縄民俗の基本くらいは勉強しなきゃなー。

f:id:daimayhawks:20170113214652j:plain

ちなみに、神社のすぐ裏手は、米海兵隊キャンプ・フォースター。

 

 

外国語を鍛える

西洋史学を志す学生は、どこの国や地域を専攻するにしても、まずは英語の文献や論文をきちんと読むことが土台になります。大学院に進学する場合は、プラス対象地域の言語の習得も必要になります。

 

私はアメリカ史を一応の専門分野としてきたので、英語を徹底的に読み続けてきました。学部生時代に受講した第二外国語のフランス語は、辞書をひたすら使い、時間をかければ、なんとか訳せる程度の力しかなく、ドイツ語は合間にちょっとずつ学習中。3~4年後には、今の日本語力並みに英語を鍛え、今の英語力程度の、独仏語読解力を身に着けたいと思っているところです。

 

それでも私の高校時代の英語の成績は偏差値40でした。まったく長文が読めない、単語がわからない、文法も意味不明・・・。中学時代は得意なほうだったのに、高校に入ると一気についていけなくなり、途方にくれる日々でした。受験勉強をへて偏差値50(ようは平均点レベル)に上げるのが精一杯。なんとか念願の「歴史学科」に入学できて、大っ嫌いな英語はもうさらば!と本気で思っておりました。

 

ところが、大学に入ってから西洋史を専攻することを決意すると、英語がかならずついてくる・・・。大学院に進学した直後は指導教員から、「その程度の英語力じゃ修士論文は書けんぞ」とよく叱られました。それでもなんとか論文や史料を読み続けるうちに、私なりの「読む」ためのポイントがなんとか見えてきました。実はこの2点だけ、だったりします。

 

・5文型を意識する。

・自動詞か他動詞かを意識する。

 

「分詞構文」も「仮定法」よくわかってないまま、とにかくこの2点を意識して、あとは前後関係の文脈で読んでいくと、だいたいは理解できるようになってきました。そのあとに文法書を読むと、「そういうことか!」と後づけで理解できるようになってきました。正しく翻訳するためには文法はもちろん大事です。ただ、それは後からでも身に付きます。とにかく基本は、5文型と自動詞・他動詞の見極めの2点だと今でも思っています。

 

それでも、まだ「話す」「聞く」がてんでダメです。半年前に受けた英会話教室のレベルチェックテストは、筆記レベル8に対し、会話レベル3という格差・・・。ここが目下今の私の課題です。英会話教室のほか、ユーチューバーによる英会話動画配信サイトを参考にとにかく、耳と口で英語に触れることを意識しています。きちんと世界に発信することも研究者の使命ですので(その意味でピコ太郎のPPAPは、大いに見習うべき点があります)。

 

高校時代は、嫌いで嫌いで苦手で苦手で苦痛でしかなかった英語。それでも英語と接し続けられたのは、英語そのものよりも、学問への探求心があったからこそだと思っています。「英語が苦手だから西洋史は無理」という方は、まずは自分の英語力を問うのではなく、西洋史への情熱を再確認してみてください。それでも西洋史を学びたい!という気持ちがあれば、英語は際限なく上達します。読書量は裏切りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後期授業の折り返し

講義も明日から第8週目の折り返しに。

今年は板書方式をほぼ一切すてて、人数の多い講義形式の授業(西洋史概論Ⅱ)ではPPTを、15名程度の授業(西洋史研究Ⅳ)では有賀夏紀・油井大三郎編『アメリカの歴史』(有斐閣、2003年)をテキストにし、毎回の学生によるレジュメ報告&討議形式を導入して、自転車操業で授業準備を行っています。

 

後者の授業では思いのほか議論も盛り上がっているので、双方向のアクティブ・ラーニングという点で、なんとかできているのではないかと実感。前者の授業も、PPT資料は一切配布せず、目次・年表・図像・地図の4点セットを章ごとに配布し、PPTと私の解説をもとにして学生自身が4点セットを縦横無尽にかけめぐってもらうように工夫しています。ただ双方向というのはまだまだ難しい(私にそのスキルがまだない)。

 

ゼミでは、宮古島プロジェクトが佳境に。来週の学会(若手部会)報告に向けて、レジュメ作成の追い込みに学生たちは奮闘しています。ちょうど「卒論演習」という授業で卒論テーマに関する中間報告をする時期と重なったこともあって、苦労しているようですが、なんとか乗り越えてほしいと思います。スケジューリングの大切さも痛感していることでしょう(偉そうに言っていますが、これは自戒の念もこめておりますい・・・)。

 

・・・それはともかく、西洋史概論で明日から扱う「長い18世紀」がまだうまくまとまらない。今日一日、悩み続けます。

 

 

 

 

アメリカ大統領選後

www.okinawatimes.co.jp

 

先日、人生で初めて新聞の取材を受けました。

事前に最低限の準備はして(久保文明編『アメリカ外交の新潮流―リベラルから保守までー』財団法人日本国際問題研究所、2007年を慌てて読み返す等・・・)、いただく質問に対して、言葉を選び、考えをまとめ、あくまで歴史家として、緻密な政治分析というよりも、歴史的な経緯や流れを意識してコメントしてみたつもりです。

 

もっと理解を深めていくために、現在、渡辺将人著『アメリカ政治の壁ー利益と理念の狭間で』岩波書店、2016年を読んでいるところです(以前、私が『西洋史学論集』にて「新刊紹介」で取り上げた『アメリカ西漸史』の翻訳者)。政権運営や選挙の勝敗は、「玉」(資質)・「風」(外在的な環境)・「技」(周囲の人材)の要因できまるという著者独自の整理や、「利益の民主政」・「利益の民主政」という砂田一郎氏の図式の援用を通じて、分かりやすく現状を分析しています。選挙当日前に読んでおきたかったと少し後悔していますが、それでも学ぶことは多いです。

 

私にとってのアメリカ史研究は、決してアメリカを代弁するためのものではなく、上原專祿が言うように、自分の生活する拠点(=地域)に立脚して、現代認識を鍛えあげるための手段のつもりです。この視点は、世界史のなかに「アジア(日本、沖縄含む)」や「島嶼地域」をきちんと組み込んでいくという認識の在り方にも関わると思っています。

 

グローバルな新自由主義的資本の「暴力」とそれに抗う排外主義的な「暴力」の間隙をぬって、新たな対抗措置を生み出すための知恵が、まさに今必要とされているのかもしれません。

第11回九州西洋史学会若手部会のお知らせ(11月27日開催@福岡)

f:id:daimayhawks:20161107175700j:plain

f:id:daimayhawks:20161107175817j:plain

きたる11月27日(日)、九州西洋史学会若手部会が開催されます。九州を中心に各地の大学から結集した学生たちが卒論・修論の内容について発表します。私のゼミメンバーは、ちょっと趣向を変え、共同研究として発表させていただくことになりました(2部会ぶちぬきの枠をいただいて恐縮です・・・)。

 

ちょいちょい僕がヒントを出しつつ、学生たちが話し合って設定したタイトルは、「ドイツ商船R・J・ロベルトソン号漂着事件における「博愛美談」再発見ー宮古島・日本・ドイツー」となりました。今、必死に組み立てているようです。学生にとっては、きつい苦行かもしれませんが、よい経験になることを信じて、がんばってほしいと願うばかりです。他の報告論題も、とても面白そうで、こうした同世代たちの報告からも、色々と学び取ってほしいと思っています。

 

(ただ、教員からのメッセージは、なかなか学生には伝わらないものだと痛感することも多く、きっと昔の私も、同じように先生方をやきもきさせていたのだろうと、過去を反省するばかりです・・・。)

 

 

移民資料展「ウチナーンチュの世越の肝心」

f:id:daimayhawks:20161024074046j:plain

2016年10月27日から、第6回世界のウチナーンチュ大会が開催されるにあたり、沖縄県立博物館・美術館では、特別企画移民資料展「ウチナーンチュの世越の肝心」が開催されています。さっそく昨日,見に行きました。

 

19世紀末から戦後にかけて、多くの沖縄からの移民が、ハワイ、南米、東南アジア、南洋群島などへわたり、各地でコミュニティを形成してきた歴史が分かりやすく説明されていました。1929年当時では、移民からの沖縄への送金額が、沖縄県の総収入の66%を占めていたということで、その影響力の大きさにびっくりしました。

 

南米移民の父と言われる、金武町出身の當山久三氏のイニシアチブも重要だったようです。彼は謝花昇とともに自由民権運動にかかわり、沖縄県選出の議員にもなった人です。43歳の若さで亡くなったのですが、ハワイにも彼の胸像が建立されているそうです。

 

海外とのつながりを求めた、という点では、同じく自由民権運動に加わり、孫文辛亥革命を支援した新垣弓太郎(第二次大戦後には沖縄独立論を唱える)と志を共有していたのかもしれません。人的交流があったのかどうかも気になるところです。

 

ゼミでやっている「沖縄のなかの世界史」発掘プロジェクトの来年度のテーマにしようかな。

 

 

 

 

 

勝連城跡でローマ帝国・オスマン帝国銅貨が発見される

表題に関する記事が、9月27日付けの琉球新報沖縄タイムス両紙の1面で取り上げられたことから、せっかく沖縄にいるのなら、ということで現地に行ってみました。下写真は、銅貨が発見された勝連城跡(現在のうるま市)です。

f:id:daimayhawks:20160930233756j:plain

勝連城の概要については、下記のパネルをご参照。なお件の銅貨が発見された「四の曲輪(くるわ)」は、調査発掘作業中ということで、立ち入り禁止でした。

 

f:id:daimayhawks:20160930235628j:plain

さて、件の銅貨は、勝連城跡近くの与那城歴史民俗資料館で、開催中の「平成28年度発掘速報展」にて展示されておりました。

f:id:daimayhawks:20161001000546j:plain

ただ、残念ながら展示中のコインの撮影は禁止ということでしたので、私なりに、1セントコインと10円玉をつかって大体の大きさを示しつつ、以下のように展示を再現してみました。

f:id:daimayhawks:20161001000901j:plain

・・・後期の「西洋史概論Ⅱ」の初回授業の教材として使うつもりですが、なんだか小学生か中学生の自由研究のようになってしまいました・・・。

それはともかく、新聞報道や展示の説明では、発見された10点のうち、製造年代が判明したのが5点。4点が3~4世紀のローマ帝国時代、1点が17世紀のオスマン帝国時代とのこと。他の銅貨については現在も調査中とのこと。

もうひとつの論点は、なぜ勝連城跡で発見されたのか、という点。14~16世紀「大交易時代」の琉球とアジア・ヨーロッパ地域との交易の在り方や、15世紀後半の廃城後の勝連城の活用のされ方の解明にもつながる、と識者はみているようです。

したがって、琉球ローマ帝国が直接つながっていた!、という類でなく、あくまで中世から近世にかけての東アジア交易網が、いかにグローバルな広がりをもっていたのか、そしてそのなかで、琉球の位置づけは何だったのか、という点が、今後の論点となりそうです。

また、私以外にも、新聞をみてコインがみたくて来た、という方々も同資料館にいらしてて、歴史学・考古学の研究成果が市民に開かれていく、という地味ではあるけれども大切な営みの一部を垣間見ることができました。これからも、わたくしなりに「沖縄のなかの世界史」という視点をもっともっと鍛えていきたいと思います。