We shall overcome ☆沖縄からのグローカルヒストリー☆

琉球大学西洋近現代史研究室を担当する池上大祐の教育・研究活動ブログです。アメリカと太平洋島嶼地域との関係について、(脱)・(新)・(核の)植民地主義の観点から研究しています。また、沖縄で西洋史やグローカルヒストリーを学ぶ意義・方法について歴史教育実践を通じて追求していく予定です。なお本ブログの記事は、あくまでわたくし個人の意見であり、所属先の方針や考えを代表するものではありません。

エチュードの終わり

本日、4名の4年次ゼミ生が学士号の学位を手に、無事卒業しました(すでに帰郷した修了生も1名)。

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毎年作ってる『西洋史ゼミ論集』第9号もお渡ししました。卒業後の進路も様々ですが、自分で選んだ好きなテーマを2年間向き合って研究してきたプロセスはどこかで必ず活きて来ると信じています。卒業生へのメッセージとして論集にも書きましたが、ゼミの共同研究で染織文化をテーマに頑張ってきたことを活かして、これから出会う人や知見という「緯糸」を、自分という「経糸」にでこぼこになりながらもしっかりと織りあげて、いろんな人を「暖めてくれる」ような人生を歩まれることを、中島みゆきよろしく、心から願っております。

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学位記授与式終了後、おもろまち駅を下りてすぐにある、フランス料理「モンマルトル」に卒業生と行ってきました。やっぱり西洋史ゼミですしね!初めて行きましたが、 実際にフランスのモンマルトルを旅した経験のあるゼミ生から現地の写真を見せてもらいながら、沖縄の食材を使ったフレンチを味わえて、まさに「食のグローカルヒストリー」を堪能できました。美味しかったです!

次の機会があれば、いいワイン(なかなかに高級でした)を一本入れて味わいたいですね。

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Felicitations pour la fin d'etudes! 

ゼミ共同研究の発表⭐️2Days

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二日連続で、ゼミの共同研究の発表機会をいただきました。昨日8日(金)は、2017年度、2019年度にもゼミ間交流でご一緒した先生方と三度再会を果たしまして、貴重な「ゆんたく」の場になりました。哲学や心理学を学んでいる学生が多く、人間の内面に果敢に切り込んでいく姿は、とても勉強になりました。全体討論では、「経験を引き継ぐ」ことで、時間的にも社会的にも私たちは何度も「出会う」ことができるのでは、という趣旨の討論になったように思います。

うちのゼミ生はこれまでも、さまざま出来事を社会(時代)状況の中に位置づけながら整理することはしっかり丁寧にできていても、より深く人間の息づかいまで掘り下げようとする作業が、史料上の制約もあって足りず、さらっと流してしまうこともあるので、そこをもっと鍛えていきたいなぁと思いました。ゼミ生だけじゃなく、私自身の研究にも言えることかもしれません。

また、3回連続参加してくれた院生の方(学部生→修士→博士)もいて、おこがましいかもしれませんが、ある種の成長を見届ける場にもなってることを嬉しく思いました!

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夜は、琉大東口近くの「あおいや」で打ち上げ。やっぱこれが対面開催の醍醐味ですよね!

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そして今日は、毎年エントリーさせていただいている琉球沖縄歴史学会学生報告会でした。細かな事実関係、史料や重要文献情報、実際に沖縄海洋博を当時経験された話、など昨日とは打って変わって、より専門的な意見や質問をいただきました。ゼミ生たちも頑張って振り絞ってリプライしてくれて頼もしく感じました。

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世界史ないしグローバルヒストリー的要素をどう出すかゼミ生たちはこれまで必死に考えてきて、海洋博の遺産を太平洋の海洋文化に繋げようとしたのですが、あながちこの方向性は間違ってなかったようで、ゼミで助言してきた私自身も安堵しました。最後、原稿化の作業が残っていますが、ゼミ生の皆さんは本当にお疲れ様でした♪

(今回はちょっと寂しいことに、エントリーが私たちだけだったので、今後もっと学生たちが参加しやすくなるような場作りを学会としても考えていきたいと思います。)

 

☆2023年度琉球大学西洋史研究報告会の開催☆

先日、卒論・修論が無事提出されました!研究対象に対する「愛」を感じる作品がそろいました。努力の結晶ですね。論旨の妥当性や説得性については、毎年実施している西洋史研究報告会でじっくり議論できればと思います。

ということで、さっそく2023年度のプログラムが完成しました。今年は偶然にも、卒修論のテーマと3年次のテーマが「対になる」ことに気付きまして、以下のような組み合わせにしてみました。さあ、西洋史の世界へ、どうぞ!

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土日開催にすれば、歴史学に関心ある高校生(や高校教員の方々)も参加しやすいかなと一瞬思ったけど、ニーズはあるのかなぁ。来年度以降の課題。

 

 

 

 

 

 

忘年会のなかの学知共同性!

27日から実家の宗像に帰省中です。今年は原稿締切を抱えていないのでゆっくりのんびりしています。

昨日は、「地域」というテーマをともにずっと考えてきた福岡の研究仲間と博多で忘年会でした。かつての学生報告や地域共生研究所での研究活動の経験を振り返りながら、大学、学校、自治体、民間会社などのそれぞれの現場での現在の到達点(や感じている課題など)を再確認する作業をみんなでちょっとやってみよう、ということになりました。私が思いついた言葉ではないのですが、かつて大学生(私はポスドク)だったときの私たちに対するいわゆる「アンサーソング」的な「何か」を出すことで、狭い意味でのアカデミズムを越えた学知共同性の持続可能性を拓くこともできるのかな、と色々妄想中です。また、より戦略的に考えると、それが若い世代にとっての何らかのキャリア形成の参考になれば、歴史をはじめとする人文科学(社会科学)の裾野をもっと広げるきっかけになるといいかも、と思ったりしています。

私の今の生活拠点が沖縄である以上、生活実感を伴う現代認識を涵養する拠点として福岡や九州をリアルに想定するのは難しくなっていますので、私個人は「島嶼地域」という枠組みから沖縄(あるいは琉球弧)と福岡(ないし九州)を何らかの形で「つなぐ」役割を担えたら、と思います。その一環というわけではないのですが、実は年明けての2月11日に久しぶりに福岡県歴教教の学習会で報告の機会をいただきました。今後の教育研究活動を構想するためにもこういう場はとてもありがたいです。『つながる沖縄近現代史』『島嶼地域科学を拓く』もしっかり宣伝しますっ。

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というわけで今年一年間ありがとうございました。長期研修による研究活動の傍ら、例年以上に歴史教育の場面で活動できた一年でした。関係者のみなさま、お声かけくださったこと、改めて感謝いたします。それでは良いお年をお過ごしください。

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夜遅くなることを見越して昨日は博多駅近くの宿で一泊。蜂楽饅頭東筑軒のかしわ飯弁当を買って帰るという実家のミッションをこれからしっかりと遂行します

( ̄^ ̄)ゞ

 

ゼミ忘年会をささやかに開きました

今日は5限のゼミの時間を使ってミニ忘年会。恒例になってきた、茶菓子や惣菜系を一人一品持ち寄るポトラックパーティ形式。僕は生ハム原木+チーズ+クラッカーを持ち込んでみました。みんな楽しんで切り取り合っていました。

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みんなも北海道(小樽)で有名なチーズケーキをはじめ、ピザ、ドーナツ、ナゲット、マフィン、手羽唐揚げなどを持参してくれました。みんなの全体写真、撮り忘れてた💦

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ちなみに生ハムは来年7月まで保つので、次は3月の4年次の学位授与式後の茶話会とか4月の新ゼミ歓迎会でも活躍してくれそうです。次はカプレーゼも加えてみよう。

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卒論草稿チェックが残ってるけど、年内の仕事はほぼ終了。自宅で一杯。ちょっとだけゆっくりします。

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戦跡調査編―ミクロネシアのなかの沖縄

長期研修期間が昨日の12月20日をもって終了しました。振り返ると、6月20日からの広島・宮島滞在からはじまり早半年。研修期間の活動についての最後の記事は、サイパン島テニアン島パラオコロール島ペリリュー島)の戦跡・史跡の紹介です。見てきたことすべてを網羅するのはちょっと大変なので、「沖縄」に絞って簡単に紹介いたします。

まずはサイパン北部に建立されている「おきなわの塔」です(2023年8月13日訪問)。1968年6月10日付けの銘板も併設されています。銘文は以下のとおり。「われわれ沖縄住民は第二次世界大戦終戦23年にあたり祖国の繁栄と世界平和を祈って南洋群島において戦没した沖縄出身将兵及び住民並びに大戦前南洋開拓の途中に死没した同胞の英霊に謹んでこの塔を捧げます 1968年6月10日 ㇽ湯汲政府行政主席 松岡政保」。この区域の真上がマッピ山で、「スーサイドクリフ」として今でも戦跡として残されています。

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次は、テニアン島南東部のカロリナス台地のふもとの、「スーサイドクリフ」も臨める場所にある「おきなわの塔」です(2023年8月15日訪問)。1978年8月に、南洋群島帰還者会・沖縄テニアン会によって建立されています。銘文は以下の通り。「今次大戦中テニアン島で散華され太平洋に魂魄をとどめ祖国の守護神となられた二〇〇〇余柱を始め沖縄へ強制疎開の途中で物故された諸例ならびに楽土南洋の礎石となられた先覚者らを偲び謹んで哀悼の誠を捧げ御霊のご冥福と世界平和を祈念しこの地に塔を建立する」。眼前の台地にはまだまだ多くの遺骨が眠っているとのことで、テニアン在住の戦跡ガイドの方も、遺骨収集に携わってきたそうです。

なおテニアンには、サイパンから5人のりセスナ機で15分程度で行けます。上記写真はセスナ機から撮ったテニアン北部の滑走路跡。ここからB29エノラゲイとボックスカーが広島・長崎に飛び立ちました・・・(この辺りは筆を改める予定)。

 

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3つ目は、パラオ諸島内のコロール島にある「沖縄の塔」です(2023年11月29日訪問)。昭和52年(1977年8月)に南洋群島帰還者会・パラオ帰還者有志によって建立されています。銘文は「パラオ諸島沖縄県人物故者を偲びみ霊のめい福を祈りここに碑を建立する」となっています。奥の檀上にみえるのは、1966年に「パラオ会 サクラ会」が建立した慰霊碑です。なぜか虹が写りこんでいますが。

 

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最後は、同じくパラオ諸島の南部にあるペリリュー島北部の「沖縄の塔」です(2023年12月3日訪問)。ここには文章による銘板はなく、沖縄パラオ会による1988年9月の建立という情報としか現地にはありませんでした。この場所には、ペリリュー島守備隊の慰霊碑(茨城の水戸出身の部隊など)があります。なお私がパラオ滞在期間中に、偶然にも沖縄パラオ会慰霊団もパラオを訪問したとのことで(同僚からのメールで知りました)、ペリリュー島の戦跡ガイドの方が前日にもご案内されたそうです。「沖縄の塔」に添えられている花束は、そのときのものだそうです。

ペリリュー島には、コロール島の桟橋からスクーナー船で40分時ほどで到着します。まあまあ揺れますが、楽しかったです。戦跡ツアーに申し込むと乗ることができます。

 

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このように、ミクロネシア地域の各地に「おきなわ/沖縄の塔」があることが、まさに南洋統治時代における沖縄出身者の規模の大きさを物語っています。帝国日本の崩壊後は、アメリカの信託統治領となり、戦後太平洋戦略の拠点のひとつに組み込まれました。サイパンテニアンなどの北マリアナ諸島は、1970年代後半にアメリ自治領という政体に移行して信託統治は終了。パラオ諸島は1994年に独立したものの、アメリカとの「自由連合協定」を結んでおり、アメリカは米軍基地建設の権利を今でも有しています。実際に、最近になってペリリユー島南側の旧日本軍飛行場跡では、米軍の建設部隊が進駐し、米軍用飛行場の造成を開始しているようです。訪問時もその飛行場跡を通過しましたが、ちょうど日曜日だったので米兵を見かけることはありませんでしたが、重機や資材置き場などを見ることができました。ガイドの方の説明では、近々このあたりは規制線がはられる(立ち入りできなくなる)かもしれない、とのことでした。

 

帝国のはざまに翻弄され続ける太平洋の島々の歴史についてこれからももっと勉強していく所存です。なお、今回私がお世話になった戦跡ガイドのサイト情報は以下になります。

 

www.coconuts-shin.com

 

 

mktours.jimdofree.com

 

palauritc.com

パラオ滞在ー調査編

昨日と今日はパラオ短期大学図書館で資料調査行いました。ホテルから徒歩5分で行ける便利さ(まあ、大学に近いことを条件に探した結果なのですが)!

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入口近くに設置されてた銅像は、先日アップしたブログ記事でも触れた、18世紀にイギリスに帯同したパラオ人のリー・ブー王子(族長の息子)です。パラオへの帰国が叶わずロンドンで天然痘で亡くなったそうです。

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図書館地下一階に「パシフィック・コレクション」のコーナーがあり、ミクロネシア議会とアメリカとの政体交渉の記録や、1940-60年代のミクロネシアの政治的地位に関する修士論文なども所蔵されています。

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撮影も可能で、とても便利でした。「南太平洋委員会」の議事録もあったのですが、その撮影までは時間的に厳しかったのでそれはまた次の機会に。今後は、ミクロネシア連邦マーシャル諸島の短大図書館にも行ってみたいですね。「聞き取り」のノウハウを持っていない自分にできることは、資料調査くらいですから。ミクロネシア(地理的にはグアムも含む)の戦後史を軸としながら足元の沖縄から発信できる太平洋世界史を描けないものか、考えたくなってきました。と同時に、地道な個別実証論文もしっかり書かねばなりません。頑張ります。

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(おまけ)昨日・今日の外食の写真です。タイ料理屋のカレーはココナツのコクとスパイシーさとバジルの爽やかさがマッチして安定のうまさでした(上)。大学近くにあるインドカレー屋のランチはなんと夢のビュッフェ形式! 22ドルは相応の値段。2周したし美味しかった(中央)!和食屋の漬け丼の魚はパラオで取れた活魚で、魚種はわからないけど、味はイサキっぽくてこれも美味しかったです🐟(下)。

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